◆生後半年〜


ふと見下ろした時に、ずいぶん長々と伸びた胴に愕然
足長に思えるのに、やっぱり君も
その血には逆らえぬのかと

成長止まない身体をなで回す

胴長真っ盛り。

>>生後半年<<
おめでとう、ルーク。
おめでとう、ルクちゃん。

師走。1日、無事生後半年を迎えた。

彼を我が家に迎える前、あれほど神経質にその健康について調べ尽くしていたのに。
彼を我が家に迎えてから、何かあるたびに何か悪いことの前兆なのではないかと調べ尽くしていたのに。

そんな努力をありがたくも無駄にして、すくすくと健康に育ってくれた。
体重は14.4kg程度。
そろそろ父犬のチャオ君に追いつくかな、と言ったところだ。母犬にはほど遠い(笑)

いくらか前に、彼の写真をブリーダーさんにお送りしたところ、そのチャオパパの小さな頃にそっくりだとのお言葉をいただいた。
私好みの凛々しい系ボーダー、チャオくん。
すばらしく嬉しかった。
カラーもその父に似ていると思う。
目つきなんて生き写しだと思う。
でも、笑顔は紛れもなく母犬のランちゃん似ではないかと思う。

性格は。どうだろう。
まだまだハイパーなチビボーには違いないので一概には言えないが。これから落ち着いてくるのかも知れないが。
おばあちゃんになっても現役暴れっ子の、祖母、ベスちゃんに似ていたら素敵だと思う。
ウワサに聞いていた「ボーダーコリーのハイパー加減」を見事に踏襲して、ルークは悪さの限りを尽くしてくれた。



ボーダーコリーは賢い犬だ、と言われているらしい。
他のボーダーのオーナー様方も、口を揃えて賢い、とおっしゃる。
…が、私は自分の息子を見ていて、そう思えた事がない。(ぇ)

聞き分けはないし物覚えは悪いし、叱られても叱られても懲りない。学習しない。
気まぐれ、という言葉がよく似合う。
人の表情を伺う事にばかり長けて、常に自分に一番都合のいいところを選んでいるような気がする。

それがボーダーの賢さなんだよと言われたら、なるほど。納得するかも知れない。


賢さと言えば、空間把握?物理的な理解?は軒並み外れて良いと思う。
これは前にいた犬にはなかった賢さ。

たとえば、人間の子供は生後1年やそこらでは、目の前に置かれたおもちゃが布で隠されたら、見えなくなってしまったおもちゃが布の下にまだ存在している、と理解する事が出来ないという。
見えなくなってしまったイコール、なくなってしまった、という理解をする。…と、何かで昔読んだ。
こういう理解はその他の下等生物にも共通してある概念だとか。
そこにきてルーク。
布の下に隠されたおもちゃの存在を完全に把握する事が、我が家に来た時には既に出来ていた。
ボーダーの知能指数の高さは、迷路などに放り込んだときに遺憾なく発揮されると聞いた事があるが、それとよく似たものなのかも知れない。
おもちゃが見えなければ、先の道が見えなければ。
ごり押しではなくて、理論的に理屈的に解決しようとする。
誰に教えられるでもなく、その正答を自分で導き出す。

それがボーダーなんだよ、と言われたら、大いに納得するところではある。


先日、オゥシー(オーストラリアン・シェパード)を飼われている方のサイトにお邪魔したのだが、そちらにいらっしゃった方がおっしゃった。
オゥシーの特徴は明るく前向きで「陽」的な賢さだという。
そしてボーダーの特徴は、ずる賢く狡猾で「陰」的な賢さだという。

なかなか難しい言い回しでそのとき理解に苦労したものだが、私なりに考えてみるとそれは、たぶん。
オゥシーの賢さが動物的で本能的な賢さであるならば、ボーダーの賢さというのはより人間に近い賢さなのだろうと思う。
「知能」と言うよりは「知力」。
賢さの種類が違う、と言うべきだろうか。


だから私にはルークの賢さがわからないのかも知れない。
私がこれまでルークに要求してきた賢さというのは極めて原始的で動物的な賢さであって。
人間じみた賢さを求めたわけではなかったので。
実際に発揮された賢さは、私には「小憎たらしい」としか映らなかった、ということなのかも知れない。

なるほど、賢い犬だ。
嫌になるほど自立的で賢い。なんて人間的な犬なんだろうか。

だからときどき、私は彼が犬だという事を忘れてしまう。




●できるようになりました
  お手。おかわり。オスワリ。伏せ。立て。待て。タッチ。反省。



●この言葉をおぼえています
  ルーク。お散歩。ごはん。豚耳。おやつ。



●課題は…
  噛み癖。呼び戻し。トイレシートびりびり事件。



●特筆事項
  チビりはしないが、ギターはまだ怖い。見たら逃げる。聞いても逃げる。